旧陸軍坂戸飛行場の足跡
旧陸軍坂戸飛行場は、昭和15年2月頃から現在の坂戸市千代田地区、鶴ヶ島市富士見地区、川越市竹野地区にかけて、面積約70万坪、約1.5キロメートル四方の規模で造られ、昭和16年5月25日に 陸軍航空士官学校坂戸飛行場として開設されました。
終戦後は、国の食糧増産計画を受け、昭和21年より開拓農地としての入植が 始まり、その後我が国の復興と相まって 都市化が進み、市庁舎や文教施設等が建設されるとともに、住宅・都市整備公団施行の富士見土地区画整理事業により、近代都市へと生まれ変わりました。
この旧陸軍坂戸飛行場は、本市にとって最も戦争にかかわりの深いものです。
悲惨な戦争の歴史を風化させることなく 次世代へ伝承するとともに、核兵器の速やかな廃絶と世界の恒久平和の実現をめざします。
旧陸軍坂戸飛行場跡
旧陸軍坂戸飛行場跡案内図
(1)現存している堅牢な弾薬庫
- 規模 幅7.5メートル、奥行5.5メートル、高さは4.3メートル、厚さ約20センチメートル
- 場所 坂戸中学校南側
- 特徴 入口が向かい合うように2棟作られ、入口以外に、内部を確認できる場所は、入口上部と入口の反対側の小さな窓のみ
(2)当時のまま残されているぺトン(飛行機誘導路)
- 場所 坂戸市役所駐車場
(3)飛行場敷地の境界杭
- 場所 坂戸市役所第3駐車場の東端
- 特徴 杭には陸軍という文字がしっかりと刻まれている
(4)当時陸軍が消火用に設置した防火水槽
- 場所 筑波大学附属坂戸高等学校内
(5)当時陸軍が消火用に設置した防火水槽
- 規模 直径約10メートル、深さ1.5メートル
- 場所 筑波大学附属坂戸高等学校内
(6)給水塔跡
- 場所 坂戸中学校南側