大河ドラマ「青天を衝け 紀行」
大河ドラマ「青天を衝け 紀行」(NHK)第5回において、坂戸市横沼の大川道場跡(大川平三郎翁記念公園)が放映されました。
渋沢栄一の剣術の指導をしていた、神道無念流の剣術家である大川平兵衛が道場を構えていた場所として紹介されました。
渋沢栄一と坂戸市の関係
渋沢家・尾高家・大川家の関係図 [PDFファイル/62KB]
大川平兵衛と渋沢栄一
平兵衛は、渋沢や尾高などの豪農の家へ出張し、1日2日泊まって出稽古をしていました。
また、平兵衛は剣術家として優れていたばかりでなく、人徳も備えていたため門下たちに慕われ、その総数は3,000人を数えたといいます。
道場跡の駐車場の隣には大川家の墓所があります。平兵衛の墓標は、元福井藩主 松平春嶽が篆額を、明治三筆の1人である日下部鳴鶴(東作)が碑文を書いています。撰文は尾高惇忠によるもので、裏面には渋沢栄一や渋沢喜作、尾高惇忠をはじめとした門下たちの名前が刻まれています。
また、坂戸市立中央図書館では、「神道無念流免許状」の展示も行っています。(※令和3年3月31日まで閉館中)
https://www.library.city.sakado.lg.jp/<外部リンク>(坂戸市立中央図書館ホームページ)
渋沢栄一と大川平三郎
「青天を衝け 紀行」で放映された大きな頌徳碑は、大川平兵衛の孫にあたる大川平三郎がサハリン(旧・樺太)の産業発展に力を尽くした功績を讃えたものです。昭和9年に、サハリンの恵須取(えすとる)町に町民によって建立されましたが、記念公園設立の際に現在の場所へ移設されました。
大川平三郎は東京へ出て渋沢家の書生となり、壬申義塾や大学南校(東京大学の前身)で勉強することの支援を栄一から受け、栄一が社長の会社である抄紙会社(現在の王子ホールディング株式会社)に入社しました。
平三郎は機械・製図の技術を独学で覚え、後に製紙王と呼ばれるほどの大企業家になり、水害に悩まされていた地元に堤防を築くなど、坂戸市の発展に大きく貢献しました。
アクセス
大川平三郎翁記念公園(坂戸市横沼333番地)
・電車の場合
東武東上線若葉駅東口から東武バス「東坂戸団地」下車 徒歩15分